2006年08月12日

知らぬが仏

hinaの回転レシーブが、僕の布団までやってきた。いずれまた自分の布団に帰っていくだろうと思ってほっておいたらいつまでたっても帰らないどころかさらに僕の寝場所を侵食してくる。う〜ん、寝てられなくなって思わず起きてしまった。。。(-_-)
最近ふと思うこと。日本の7割がネットを利用している中、残りの3割の人はどうしてネットを利用しないのだろうか?おそらくネットよりも楽しいことがいっぱいあるとか、興味がない、はたまた使いたいのだけど設備がないというのもあるだろう。もちろんパソコンやケータイが嫌いでどうしてもなじめないというのもあるだろう。
だが日本のインターネットの利用料の安さは世界で群を抜いている優秀国である。使いたいと思えばたいていはさほど大金を払わずしてネット接続は可能だろう。先日山手線内でおばちゃんがW-ZERO3(PDA型のPHS)を使っているのを見てびっくりした。いよいよここまでやってきたかという感じがする。

今でもケータイでいつでもネット接続して情報収集は可能だが画面が小さいことや入力が面倒なことからやはりじっくりと何か調べ物をしたりするにはパソコンに向かうことが一般的だろう。それでもいずれは今のパソコンと同じぐらい、もしくはそれ以上の使い勝手のデジタルツールが開発され、人はそれをいつでも、どこでも持ち歩くという時代が来るだろう。要は人が持っていない、その場に居ない人とのコミュニケーションする能力(電話・メールなど)や、電子マネーなどのように実物がなくてもデータのやり取りだけで処理ができる能力という人間がいくら進化しても生まれながらにして持つことのできない能力を付与してくれるのだ。ただ、それを人が使うかどうかは別の話。これがあれば分からないことが瞬時にしてすぐに調べ物ができてしまう。自分専用の百科事典を持ち歩いているからだ。さらに進化すれば耳から入ってくる情報について調べるという挙動をしなくてもディスプレイに勝手に表示しれくれるようになるかもしれない。ただそれを本当に人が使うようになるのだろうか、そして使って人は幸せになれるのだろうか?
知らぬが仏とはよく言ったもので、よい情報は何でも知りたいが、悪い情報は知らなければよかったということが多い。人間は勝手である。情報を知りたいという欲求を満たすがために必死にモノを開発し、便利な世の中にしてきた。ただ、こういった理由でこの便利を受け入れたくない人も居るし、場合によりけりで受け入れたくない時もある。ただ、僕は悪い情報であれ、知らないでいるよりは知りたい、いずれ知るのであれば知りたいと思う。
夏休みに調べ物をしたり勉強するのにひたすら図書館に通っていたころを思い出した。苦労して調べて、分かったときの感動、知る喜びは大きかった。今は簡単に何でも知ることができるので逆に知らないことが恐怖になる。人がものを知るための状況はここ10年で一変してしまった。ガンダムで言えば、瞬時に情報収集できる能力を持つ部類の人はニュータイプだろう。そういう意味で言えば間違いなく僕はニュータイプである。(別に自慢しているわけではないが)皆がニュータイプになれば人は幸せになるのか。そんなことは誰もわからない。
ここ最近、こんなことばかり考えてしまう。こういったツールを使いこなす能力差をデジタルデバイドというが、それをなくすことがいいのか分からなくなってきた。


taka7107 at 06:56│Comments(0)TrackBack(0) 日常 

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