2019年01月17日

震災から24年、あのときの記憶は今。

24年前の今日、阪神淡路大震災を東灘区住吉宮町のアパートにて経験。飛行機が落ちたのかと思うようなしたからの突き上げに、当然目は覚めるがなにが起こっているのかさっぱりわからず、天井から電灯が落下して頭に当たるわで、それはもうすごい状態だった。部屋の中は本当にひっくりかえしたような状態に散らかり、扉も半開きだが傾いたためか開かず、すぐには外に飛び出せなかった記憶がある。外はまだ暗い状態ながら、当然、みなさん外に出てきて話し合い、安心を確かめ合う。同じアパートに同居していた友人は2Fに住んでいて真っ先に逃げたようで、その後しばらくして出会うのだが、なんで、1Fの俺に声をかけてくれなかったのか、未だにそりゃねぇだろう?と思うことはある。( ´ ▽ ` ) その後、近くの崩れた家で人が下敷きになっているという話があって、近くの大人はみんなかり出されて救助に。うもれたおじいちゃんに、とにかくがんばれよーと声をかけた記憶が未だに残っている。その後、実家になんどか連絡してやっとつながり、実家は花瓶が倒れた程度でとのことで安心したし、向こうもニュースで映像が流されていないのか?「今日は学校に行くのか?」などと親父が寝ぼけたことを言っていたのを未だに覚えている。その後、2Fの住人である友人Kが三田に実家があり、そこまでなら車で行けそうだと言うことで、そちらに避難させてもらうことに。実家に帰ろうにも阪急・JR・阪神のすべてがストップしているので無理だったのだ。その後、3〜4日三田のKの実家にお世話になることに。風呂場で頭を洗うと、地震の時の揺れがフラッシュバックしていつまでも消えないという初めての体験を今でも忘れない。1000年に一度規模の地震と言われ、貴重な体験と思いつつも、20年も経たないうちに、東北・関東で大震災あり、そして、近年では、熊本であり、北海道であり、大阪市内でもあったりする。もはや1000年に一度なんてことはなく、いつでも起こり得る規模なのだと覚悟するしかないのでしょうね。地震大国に住む我々、過去の震災で学んだ教訓を生かして、25年目の第1歩を踏み出していく必要がある。来年は四半世紀の区切りの25年にもなる。記憶を風化させないようにしないといけない。

taka7107 at 07:37│Comments(0) 歳時 | ふと思うこと

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TAKA
「あたらしいもの」「便利なもの」「お得なもの」「かわいいもの(hina)」が大好き。藤沢市在住。妻(yuki)一人、娘(hina)一人。かなり運動不足。。。でもBMIは22。(最近ちょっと太ったの)
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