2020年01月13日

こんにゃくパークの次は富岡製糸場で世界遺産に触れる

富岡製糸場で製糸の歴史を学ぶ。創業は明治5年なので日本の鉄道開通と同じ歴史だという。日本のお家芸的な産業である製糸を世界に輸出するべく、フランス人を招いてこの工場を作ったという。地理的な背景としては、大量に水が必要なことは二本の川に挟まれたところにあるということ、輸出するための横浜から極端に離れていないことなどの条件があったようで、それらを加味するとこの富岡になったようだ。蚕のまゆは1本の糸でできていて、0.02mmの糸が1.3kmにおよぶ糸がとれるそうな。それをまいてまいてほどいてほどいてをやって、20本ほどより合わせて生糸をつくるとのこと。その生糸をさらに精製すると絹糸になるそうなのだが、富岡でやるのは生糸の生産まで。昔は座繰りという手法で手作業でやっていたのをフランス製のエンジンと機械を使って自動で巻き上げ、その後官から民にうつって、三井、原、片倉と3代の当主にて運営されてきた製糸場。日産が機械化に尽力してフランス製の製品は日本製に置き換えられたそう。フランスの支援を受けて起こした産業ですが、いつのまにか日本の気質に根付いて、大きな産業に育ったというわけですね。ただ、最終的には生糸価格の下落などで、日本製ではコストが見合わず工場は閉鎖。昭和62年ということなのでほんとつい最近まで使わていたのでしょう。建物は昔のそのままで、操糸場という女工が働く館は光を取り入れるために一番南側に東西に長く配置され、その両サイドにまゆを置いておく倉庫を東置繭倉庫と西置繭倉庫とふたつの倉庫を配置したようです。特に東倉庫は写真によく撮影されるところでレンガ造りの倉庫。富岡の瓦職人がレンガを焼いて作り、フランス人の設計で、フランス式という積み方でレンガが積まれて建てられた建物だそう。結局抽象化できそうなものが何かあるかと考えてみたけどあまりないのが実態。まだまだメモの魔力は実践できそうにないですね。


taka7107 at 18:02│Comments(0) 休日の過ごし方 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
コロプラ
クリックしてね
QRコード
QRコード
ここから買ってね(楽天)
あわせて読みたい